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2019/08/05
「知りたいことを聞く」シリーズ「戦後処理をめぐる論争:日中関係--これまで、今、これから」(バラク・クシュナー ケンブリッジ大学教授)

 中曽根平和研究所では、英語圏を代表する日本・東アジア研究者の一人で、中曽根康弘賞優秀賞を本年受賞された、ケンブリッジ大学のバラク・クシュナー教授と、標題に関して、会員・研究所員との意見交換を開催しました。

 議論の概要は下記3のとおりですが、オフレコを前提としていますので、これ以上の詳細は割愛いたします。

 この会合は従来型の講演会ではなく、最初の1/3を基調講演、その後2/3を出席者との質疑応答、という、意見交換重視型のものです。

1 日時:令和元年7月25日(木) 15:00-16:30

2 場所:中曽根平和研究所 大会議室

3 概要

(1)中国における、歴史を清算することの意味

 私の主要な研究は、アジアに於ける大日本帝国の崩壊と戦後処理の問題である。

 この視点から、中国の歴史清算の意味を捉えると、過去、清朝から中華人民共和国成立初期においては、「国恥」「国辱」を忘れるなかれ、といったものであったが、その後は「正義」を追求する趨勢が高まっている、と考えている。

 とはいえ、日本との関係でいえば、日清戦争での敗戦がそのスタートポイントであり、清国海軍の自沈した主力艦「定遠」の「錨」が、日本にとっての戦利品であった裏返しに、中国にとっては「国恥」「国辱」のシンボルであった。この錨は現在も教科書に掲載され、更には中国人民革命軍事博物館に展示されている。

 「正義」を追求するという意味で重要なポイントとなったのは、第二次世界大戦後の戦争犯罪裁判であった。

 日本におけるBC級戦犯(B級:通例の戦争犯罪、C級:人道に対する罪)については、記録が明確に残るだけで7か国(オランダ、英国、オーストラリア、中華民国、米国、フランス、フィリピン)の手によって裁判が行われ、約2,200裁判、約5,700名の被告が対象となり、1,000名弱が死刑となった。

 中華人民共和国はこの枠外ではあるものの、1,000名を超えるとされる対象被告のうち、死刑執行されたものは0名であった。通常、戦争終了後の軍事裁判における、かつての政治指導者や軍事組織指導者、実行者の審理・処罰等を「移行期正義(Transitional Justice)」と呼ぶが、中華共和国におけるこの状況は、「移行期正義」と呼ぶよりむしろ、裁判を実施した他国に比しての自国の正当性を示す「競争的正義(Competitive Justice)」と呼ぶほうがふさわしい。

 1950年代以降、ソビエト連邦(同じく上記7か国の枠外)から中華人民共和国に戦争犯罪人が移送され、再び戦争犯罪裁判が行われるようになったが、この流れは変わらなかった。但し中国では「鉄証如山」という言葉があり、これは「動かぬ証拠が山ほどある」という意味で、裁判記録についてもしっかりと保存され、公開されるに至っている。

(2)中国と日本の歴史認識の溝

 中国と日本の歴史認識の溝が深くなると両国の関係は危うい。

 日本は既に戦争犯罪の研究は豊富だが、中国では研究が始まったばかりである。

 1950年代以降、戦争犯罪裁判が開かれていた瀋陽法廷も、長らく映画館となっていたが、近年(2014年)になって、裁判の記念館として復活したところだ。

 また第二次世界大戦のA級戦犯(平和に対する罪)を裁いた、極東国際軍事裁判(東京裁判)においても、11人の裁判官・判事の内、ただ1人、中国(中華民国)から梅汝璈が派遣されたが、上海近郊にある彼の銅像も顧みられることが少ない。

 一方で、「中華人民共和国」が第二次世界大戦で勝利した、というプロパガンダ、台湾における蔣介石像の「撤去」などをみても、歴史の記憶を風化させる営みは絶えないことに注意を払い続ける必要はある。

 中華人民共和国は、21世紀の世界において強大になるという「夢」の部分と、かつての清朝・中華民国の時代を含めた「国辱」の部分とをうまく繋ぎ合わせており、「競争的正義」の追求についても、こうした文脈で利用されることがあり得ることに、注意を払う必要がある。

以上

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