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外交・安全保障

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2025/07/02
河西研究員によるコメンタリー「中華民国におけるソ連の対外諜報活動ー1940年代」を掲載しました。

 スターリンを首班とするソ連の指導者層にとって最大の課題は、いかにしてドイツと日本の両方を敵に回した二正面戦争という災厄から逃れることであった。ところが、スターリンはこれら二国の仮想敵の対ソ動向を知るために各国に張り巡らせていたはずの諜報員たちのほとんど全てを、1937年から38年にかけて国内に吹き荒れた「大粛清」で一掃してしまったため、新たな諜報網を作り直さなければならなかったのである。特に日本の対ソ動向を知る上で重要な拠点は東京であり、また中国であった。東京での諜報活動に関しては、リヒャルト・ゾルゲと彼の組織した諜報団の活躍が広く知られているが、本稿では蔣介石を首班とする中華民国にソ連大使として赴任したアレクサンドル・パニューシキン、また後にスターリングラードをめぐる攻防戦で名を馳せることになるが、国民革命軍の軍事顧問として中華民国に駐在経験のあるヴァシリー・チュイコフ、そして、かつてナチス突撃隊の指導者だったが、ヒトラーと袂を分かち中華民国に亡命、蔣介石の軍事顧問をしながら対ソ情報協力者となったヴァルター・シュテンネスについて、彼らが国民政府関係者との外交活動、諜報活動を通じて、彼らが日ソ戦を回避するために奔走する模様を一次史料や回顧録から説き起こしたい。

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